すかしたフィルター

頭の中ってごちゃごちゃしてるよね。

「きのう何食べた?」 ゲイの風景ってこういうことなのか!

こんにちは モロヅミです。

 

主語が大きくてすみません。

今回はよしながふみさんの男性同性愛同棲料理漫画『きのう何たべた?』の紹介です。

こちらは同棲しているゲイのふたりが暮らしているさまを覗き見る(主に料理部分)という漫画です。

 

大げさではなく、この本を読んでからゲイに対しての見方が変わりました。

というか、ぼくはわりと優等生で、「差別はいけないぞー」と本気で考えながら実際にそういうかたがたに出会うと何ともいえない感情を抱いていました。

体験も足りていなかったし、どういうものかわかってなかったんですね。

その点、この漫画ではものすっごく普通にゲイが出てくるんです。

普通に、といってしまうと語弊があると思うんですが、なんというか、ぼくが今までで読んできたものや見てきたものでは「これが同性愛者だ!!」とか「禁断の愛・・・」といったような修飾がたくさんついていたように思えるんですね。

ある種のパワーや主義を作品に載せないと表現できなかったという意味もあるのかもしれませんが。

この作品には、そういったものは出てきません。ただ普通のおっさん(といってもイケメンふたり)が同棲して料理つくっていちゃいちゃするだけです。

 この漫画は「ゲイ漫画だ!」と声高に叫ぶのではなくて、「まあ、こういうもんだよ」と日常の延長線として描いています。

 

僕がこの作品に変えられてしまったのは、こちらのシーンです。

主人公ふたりがオシャレなカフェに行ったときのことです。

店内の女性客がふたりを指さしてきゃっきゃっしている描写があるんですが、それに対してものすごくイラッとしたんです。

 

びっくりしました。

今まで自分がきゃっきゃっしている側にいた事を気付かされました。

今までは自分はそんなことしない、と思ってたのにも関わらず。

それから、僕は同性愛者に対して好奇の目で見るのを辞めました。今までもしていたつもりはないですが、体験として理解して出来た気がしたからです。

 

そして同時に、物語の力の凄まじさを思い知りました。

以前、こんな話を読んだことがあります(確か内田樹の本のどこかだったような)

アメリカである戦争映画を上映したときのこと、燃料が足りず、このままでは目的地に無事着けないことがわかった。

そこで、船長は仕方なく黒人奴隷を海に捨てた。

海に向かって黒人をぽんぽんと放り込むシーンで、拍手喝采が巻き起こったそうです。

拍手をしている観客には黒人も混じっていたそうです。

物語の中の登場人物に自分を投影し、その時は白人側の気待ちになってるんですね。

 

この話を聞いた時、「そんなことあるんかなー」って思ってたんですけど、バッチリありました。

 自分も、彼らの気持ちに寄り添っていました。

いわゆるストレート、異性愛者はマジョリティであり、なかなかセクシャルマイノリティの気持ちを理解することは難しいです。

でも、物語の力を借りればそんなことも出来てしまう。

 

くるりと視点を変えるだけで、新しい自分に出会うこともあるわけです。

 

そんな難しいことを考えなくても、主人公のシロさんが料理をてきぱきと作っていく様を見ているだけで気持ちよくなれますし、出てくる料理はどれも自分で作れるものなので、料理漫画としても優秀です。

個人的なお気に入りは、「アスパラの卵のエビチリソース炒め」「肉豆腐」「酸辣湯」です。

 

きのう何食べた?』はオススメです。

 

 

 

 

 

 

 

 

『君の名は。』 感想 -新海作品を『距離』で考え直してみる-

こんにちは、モロヅミです。

 

君の名は。』見ました?

めちゃくちゃ面白かったです。

めちゃくちゃ面白かったんですが、つい先日、実の姉から「君の名は。ぜんぜん面白くなかったんだけど。どうして?」という難問を突き付けられました。

さんざん考えたのに、全然反論が思いつかず、「うーん、おもしろいものはおもしろいしなあ・・・」という結局のところぜんぜんなんにもならないところに落ち着いてしまったので、しばらくずっと考えていたんですが、「んー、こうやって考えてみたら面白いかも」と思った糸口を発見したので、書いてみます。

新海作品を『距離』で考え直してみる

新海誠が監督した作品はすべて物語の重要な要素として「距離」が登場します。

今回はその『距離』に焦点をあてて、『君の名は。』を考え直していきたいと思います。

僕は、『ほしのこえ』をある動画サイト(確かyahoo!動画かなにか)で見てからずっと新海誠のファンです。そのころはまだ動画サイト、といったものがあまりなく、公式で配信していたように思います。それはたしか小学生か中学生のころで、まだまだ新海誠は「知る人ぞ知る」アニメ監督でした。

こんなにもきれいに情景を描く人を僕は知りませんでした。

そんなこんなでずっとはまりつづけ、新作が出るたび映画館に足を運び、今回もまた打ちのめされてきたわけです。

というわけで、濃淡はありますが、一通り全部の新海作品を見てきました。

(最近になって『秒速』と『雲の向こう』を見直しましたが、他の作品はうろおぼえのところもあると思います。)

 

まだ、新海作品を見ていない人にとってはもしかしたらネタバレになるところもあるかもしれませんが、できるだけ「ほかの作品も見てみたい!」と思えるようなものを書いていきたいと持っていますのでお付き合いください。

出会うことで物理的な距離がゼロになる

君の名は。』は、ふたりが出会って、名前を聞くシーンで終わります。

二人の物理的な距離がゼロになって大団円です。

この作品は紆余曲折あってふたりの距離がゼロになる、という物語なのです。

思えば新海作品では常に「距離」が重要な要素として登場します。

距離にもいろいろとあって、

①物理的距離

②時空的距離

心理的距離

 などがすぐに浮かびます。

これを『君の名は。』に当てはめていくと、

①糸守の土地と東京

②三年前と現在

③夢の中でのつながり(精神と肉体とのつながり)

 といった要素に分けることができると思います。

滝と三葉は夢の中で体が入れ替わって、互いの人生に干渉していくわけですが、このとき、物理、時空的距離を超越し、互いの肉体を共有しているわけです。

肉体を共有するなかで、ふたりはふたりだけのつながりを作っていくのです。

他の人からみたら、わからないけれど、ふたりには絶対わかる。

この絶対的な心の距離がふたりにとっては何よりも代えがたい重要なものなんですよね。誰にもわかってはもらえないとしても。

この繋がりは、三葉の死とともになくなってしまう。繋がりを求めて、滝は糸守の地を探すことになる。

心のつながりを喪失し、それを埋め合わせるために、物理的な距離を縮め、さらには時空を超越しようとするというストーリーなのだといえます。

時空的距離の超越には絶大なコストがかかるので、三葉の残した口噛み酒と、糸守のご神体を祭る場所、あの世とこの世の混じり合う場所が必要でした。

ふたりが出会った時、すべての距離がきちんとゼロになっているんですよね。心も通じて、触れることもできて。

ただ、三葉のおばあちゃん(一葉おばあちゃん)がいうように、あの世へ行ったら自分の大事なものを置いてこないといけない。

ふたりがお互いの名前を忘れてしまったのは、そのせいじゃないのかな、と思います。

お互いの名前を忘れることで、お互いの記憶もなくなってしまう。

距離を縮め、時空をゆがめることで、心の距離にほかの距離を合わせようとした行いに対して、帳尻合わせが行われているのだと感じました。

糸守を救い、舞台は滝が住む東京に移ります。

お互いの存在を忘れ、同じ時間軸、そして同じ東京という場所に生きるふたり。

ここで、物理的距離も時空的な距離がなくなり、あらためて心の距離を縮めていくことになるのです。

 

このようにふたりの距離が近づいたり離れたりして、この映画はできているのです。

他の作品では

他の新海作品でも、「距離」が重要な要素を担っていて、

 たとえば『ほしのこえ』では地球と宇宙に引き裂かれる恋人を描いています。心の距離は離れていないのに、物理的な距離は圧倒的に離れていてどうしようもない。ふたりをつないでいるのは、メールだけなのに、そのメールも距離が離れるにしたがって届くまでの時間が長くなっていく。

物理的、時空的な距離の要素が含まれているんですね。

 また、『雲の向こう、約束の場所』では、夢の中での心理的なつながりを描いています。個人的にはこの作品がとても似ていると思っています。

『雲の向こう』では、ヒロインが眠り続けていて、夢の中でひとりぼっちでいます。主人公はヒロインが孤独で過ごしていることを同じ夢の中で知り、ヒロインを救う決心をします。

彼女をを救う手段は眠りから覚めない原因とされる場所へ連れていくこと。

夢から覚めた時、あるセリフを言うのですが、そのセリフを聞くと、 世界を超越したための通行料やら、コスト、自分の大事なものを置いて行ってしまう、という意味がわかるような気がするのです。

 

夢を通じてつながりが生まれる→場所、距離という条件を満たす→夢の世界から現実の世界へ飛び越えることができる→超越の代償を払う

という流れが、『君の名は。』とそっくりだとおもいませんか。

 

と、『距離』をテーマに作品を考えていくと、面白いのではないか、という試みでした。

今回は書きませんが『秒速5センチメートル』でも距離というのは重要な要素ですし、『星を追う子ども』では現世と異世界との境界を越え、死後の世界とのやり取りも出てきますし、もっと違う見方もできるかもしれません。

おわりに

今回、『距離』について考えてまとめてみました。距離だけでなく、境目を超越することであるとか、代償として失ってしまったものや、失いつつも残っているものであるとか、そういったものに気をつけて見ていくと、新たな発見がありそうだなあと。

あと、これを書くためにほっとんど監督のインタビューも見てませんし、他の人の感想もぜんぜん見てないので、これからそれをあさりに行きます。

もし、ぼくとおんなじ考え方の人がいたら握手しましょう。

では。

 

 

 

 

ポケモンすごい ~僕は感動している~

どうも、モロヅミです。

いやーポケモンすごいですね。

右を見ても左を見てもみんなプレイしてますね。

上野公園ではそのポケストップの多さからお祭り並みに人が出ているようですし。

リリースされた瞬間から周りが色めき立って、口々に「ポケモンやろう!」ってなってたのもびっくりでした。

正直ここまで人気が出るとは思ってなかったんですが、さすがはポケモンです。

 

ところで、僕はIngressプレイヤーです。(Ingressではプレイヤーのことをエージェントといいますが、プレイヤーで統一します)

いまでこそ散歩をするときに起動するくらいのゆるゆるプレイヤーですが、始めた当初は本当にハマりました。

初めて一週間くらいでレベル8(レベル8になるとゲーム中のすべてのアイテムが使えるようになり、それからはレベルによる差はなくなる。それゆえ、「レベル8までがチュートリアル」ともいわれる)まで上げてしまいましたし、通勤はもちろん、帰ってからもアイテムを集めたり敵の陣地を攻めに行ったりしておりました。

地元のプレーヤーとの交流もあり、このゲームを楽しんでいるのが自分だけじゃないんだ、とうれしくなりました。

 

Ingressのキャッチコピーは

「The world around you is not what it seems.」(あなたの周りの世界は、見たままのものとは限らない)

です。

始めた当初、いろんなものがポータル(ポケモンで言うポケストップ)になっていて、それを回るのがとても楽しみでした。

普通の人が足早に通り過ぎるそこは、僕らにとってアイテムが入手でき、陣地を拠点になる重要な場所なのです。

そこを歩いている人と、Ingressプレイヤーでは見ている世界が違うのです。

そのギャップが面白く、感動した覚えがあります。

それはある種の優越感のようなものだったのかもしれません。

「そこ、ポータルなんだけど、みんな気づいてないんだよな~」とか

「そもそもそこに変な彫刻があるのも知らないだろうな~」とか

「こんなところにお寺が!Ingressやってなかったら気づかなかっただろうな」とか。

新宿はゲーム内では激戦地で、いつもドンパチやっている場所なのですが、それをしっているのはプレイヤーだけ。

ほかの人たちには見えていない。

これが仮想現実というやつか!と。

そういった発見がありまして、ものすごく楽しかったんですよ。

しかし、Ingressがいかに世界中で愛されているといっても、それを共有できる人が限られていて、ちょっとだけ物足りなあと感じていました。

 

ここでPokémonGOの登場ですよ。

いまやみんながポケモンを探して街を練り歩く。

ポケストップが乱立しているところに赴いて、捕獲する。

現実ではない現実を、みんなで共有しているんです。

Ingressで体験した僕の感動をみんなで体験してるんです。

じわっとくるものがありませんか?

これをきっかけに近くの公園に久しぶりに訪れた人。

家の近所に歴史的建造物があることを知ったこと。

いつもの街にモニュメントが多く存在していることに気づいた人。

そういった体験が、日本中で起こっているんです。

久しぶりに子どもと一緒に歩いて、ゲームをして、疲れたねって会話した人や、もしかしたら恋人と出会った人もいるかもしれない。

仮想現実と現実がまじりあって、自分が住んでいる現実が、よりおもしろいものになっていく。

きっとIngressをつくった人たちもそんな体験を作ってきたのだと思います。

そういったことを考えているとぼくは、どうしても体の震えを抑えられないのです。

ああ、よかったなあ。

ものすごく平和だなあ、って思えるのです。

ポケモンもいいけど、ポケストップやジムにも気を配ってみてほしいなあ。

ポケストップになっているのは現実にあるもので、その多くは魅力的な場所です。

きっとあなたが知らなかった世界を見つけられるはずですよ。

 

以上、本当に日記でした。

みんな!いっぱい楽しもうな!

ワンピースがつまらなくなった理由を考えよう

どうも、モロヅミです。

今日は、ワンピースがつまらくなったといわれる理由を考えていきたいと思います。

いまや国民的に有名になったワンピースですが、最近、アンチといわれるワンピース否定派が増えてきているように思えます。

彼らは「最近のワンピースはつまらない」「昔はよかった」などと口々に言います。

僕は、連載開始からずっとワンピースを読んできたひとりのファンです。

初めに言っておきますが、ワンピース、好きです。

ここまで国民に浸透した漫画は、かつてありません。

それだけで、評価に足るものです。

でも、確かに、「最近、つまらない」と言われるのもわからなくないです。

なんでなんだろうな、と考えてきた結果、こうじゃないかな、と思える結論がぼやぼやと浮かんできたので、形にしていきたいと思います。

うちの兄がもろに「最近のは・・・」なので、兄貴をイメージしながら語るので、イメージや感覚が違っているもしれません。

それでははじめます。

たぶん、つまらなくなってない

結論から言うと、ワンピースはつまらなくなってないと思います。

なのに、なぜ私たちは「なんか最近ちょっとつまらなくなったよね・・・」と思ってしまう。

それは、ワンピースの魅せ方が変わってきているからだと考えます。

いままでのワンピースの面白さは、

・バトルシーンの面白さ

・物語としての面白さ

の二軸で構成されていたと考えています。

そして、最近のワンピースは「物語としての面白さ」に重点をおいていると思います。

なぜかというと、バトルの面白さを表現するには、ワンピースはインフレしすぎてしまったからです。

バトルのおもしろさ

そもそもバトルのおもしろさというのは、バトルの中での工夫や、解決策の選び方であると思っています。

例えばバギーで、バラバラの実の能力に苦戦したルフィたちは、「一度バラバラになったものをもとの状態に戻れなくする」ことで、勝利を収めます。

弱点を見破り、最適解を見つけ出すところにバトルの魅力があると考えています。

そして、重要なのがピンチです。

時として(というかいつも)主人公はピンチに陥ります。

ピンチになったとき、多くの主人公は自分の新たな力に目覚めたり、根性や気力を振り絞ることで、その場の敵を倒し、問題を解決します。

ワンピースであれば、クリーク戦やアーロン戦、ルッチ戦などなどで死線を超えながら体に無理をさせながら敵を倒していきます。

ピンチを、より大きな力で解決してしまうと、次の敵はもっともっと強く、大きな敵になってしまいます。

なぜならば読者は「このキャラクターの最大値はこのあたりにある」ことを知っているのですから、以前出会った敵よりも強いキャラクターでなければ、ピンチにはなれないのです。

すると、

ピンチになる

→キャラクターの最大値が上がる

→それを上回るピンチが出現する

→またキャラクターの最大値があがる

・・・というループが発生します。

このループは読者からみると、ピンチを乗り越えていく主人公をより魅力的に見せ、バトルを盛り上げてくれます。

しかしながら、これには大きな問題があります。

そう、インフレです。

強さの表現には限界があります。初めは瓦1枚を破壊するくらいの威力だったものが、瓦100枚、建物や地面をも割るような威力になってしまうと、こちらの理解が追い付かなくなって、それを生身で受ける主人公に共感できなくなってしまいます。

ワンピースもそうです。

ルフィにしろゾロにしろ、彼らは強くなりすぎてしまったのです。

敵をワンパンで倒してしまうような強さというのは、バトルを大味にしてしまいます(そこから始まる漫画も最近話題になりましたが・・・)

当たるか、当たらないか、といった、大技の応酬になってしまうからです。

インフレを避けるために

このインフレを回避するために、ワンピースは物語を主軸にした構成になっていったと考えています。

正確に言えば、インフレは回避できていません。インフレはインフレとしてなんとかごまかしながら、物語で魅せるようにしていこうとしている、ということです。

この傾向が強くなってきたのは、ドラム王国編、しっかりと舵をきったと感じたのがアラバスタ編です。

バトル展開で魅せるのには限界があると感じた尾田栄一郎が、物語展開で魅せるように重心を変えてきたのです。

アラバスタ編はもちろんバトルも面白いですが、国王軍、反乱軍、クロコダイル率いるバロックワークス、そして麦わらの一味。

それぞれの思惑が交錯し、複雑に絡み合っています。

アラバスタ編単独で映画化もされていますし、相当に練りこまれたストーリーになっていると思います。

また、最近ではそれだけではなく、社会問題すらもその範疇に入っているような印象を受けます。

空島編では先住民と聖地問題(個人的にはものすごくエルサレムやなんかの聖地、信仰vs科学、神の存在といった問題が隠されていると思ってるんですが)、魚人島編ではわかりやすく人種問題などなど、いろいろな問題を扱っています。

というよりも、事実は小説より奇なり、よろしく現実の問題を考えたほうが物語が展開しやすいということかもしれませんけどね。

このように物語が主軸になってくると、必然的に地の文や島の状況説明、現在の状況説明に割く割合が多くなってしまいます。

キャラクターが動いていないコマが増えてしまうのです。

ここで、以前からのワンピースファンは違和感を覚えてしまうのです。

気持ちのいいバトルが見どころだと思っていた漫画が、気が付かないうちに文字の多い、まだるっこしいものになってしまった。

これが「最近のワンピースはつまらない」の正体です

バトルと物語の両輪だったものが、インフレによって味気のないバトルと、冗長な物語に変わってしまった。

そう感じてしまう、「変化についていけない読者がある一定数いる」ということです。

変化についていけない、というとその方々を貶めているようですが、そんなつもりはありません。

自分がすきなものはずっと自分のすきなままでいてほしいですからね・・・。

余談

さて、ここからは余談ですが、個人的にはこの物語重視の展開にも、ちょっと食傷気味です。

理由はふたつあります。

ひとつめは、物語が大きくなればなるほど、ルフィたちが戦う理由に共感できなくなってしまうということです。

ルフィの目的は海賊王になることであって、旅先の国を救うことではありませんからね。ルフィたちの働きによってついでに救われる、という展開のはずなのに、ルフィたちの働きありきになってきてるような気がします。

なんでこいつら戦ってるんだろう、なんで命かけてるんだろう、という理由付けがないと、肝心の物語から置いてかれてしまうような気がするんですよね・・・。

命を投げ出すためには相応の理由が必要なはずで、ぼくらみたいなちっぽけな人間からすると、そこまでの執念があるとは思えないし、共感できなくなってしまう。

 

 ふたつめとしては、物語もやっぱりインフレする、ということです。

aniram-czech.hatenablog.com

ぼくのすきなブロガーさんで、少女漫画のインフレについて書いてあります。おもしろいのでぜひ読んでほしいのですが、少女漫画におけるインフレについて書かれています。

以下引用です。

この展開を見て、「登場人物がビッチ・ヤリチン」という批判をしている人にたまに出会うのですが、私は『NANA』をビッチとヤリチンのマンガだとは思っていなくて、「少女マンガにおける人間関係・恋愛関係のインフレが起きた」作品だと考えているんですね。

『失恋ショコラティエ』に見る、私的少女マンガ考 - チェコ好きの日記

 

また、少女マンガにおける「インフレ」のもう1つの傾向として、「過去のトラウマの肥大化」というのもあるなー、と私は考えています。主人公と相手の男の子の思いは通じ合ったはずなのに、2人はうまくいかない。なぜかというと、彼が過去にトラウマを抱えていて、素直な恋愛ができないからです。すぐに克服できてしまうような簡単なトラウマでは話が続かないので、マンガの人気が出れば出るほど、連載が長期化すればするほど、彼の抱えるトラウマは彼の家族や親戚を巻き込み、雪だるま式に大きくなっていく——そんな展開を見せるのが、例えば『僕等がいた』であり、『彼氏彼女の事情』であったりするのではないかと。

『失恋ショコラティエ』に見る、私的少女マンガ考 - チェコ好きの日記

 このように、少女漫画におけるインフレ現象を指摘しています。

うーん、最近のワンピースでも同じようなことが起こっていませんか?

ルフィにもうひとりの兄貴がいるだの、実はこいつは過去にこんなことが・・・だったり、やけに黒いシーン(回想シーン)が多かったりして・・・。

すみません、ちょっと記憶があいまいなのでどこがどう、とはいえないんですけど。

こうやってインフレを起こしているような気がするんですよね。

毎回毎回、新しい島に行くことで設定がリセットされてしまうので、それを超える悲劇や驚き、感動を生み出すために、テコ入れをしている印象です。

ここでもインフレのループに入ってしまっているんじゃないか、というわけです。

 

以上、余談でした。

最後にいっておきますが、ぼくはワンピースすきですし、これからも応援しています。

ただ、飛ぶ鳥を落とす勢い、といったものはなくなってしまったのかな、とは思っています。

 もう82巻かあ・・・。

ONE PIECE 82 (ジャンプコミックス)

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函館ハリストス正教会の謎

どうも、モロヅミです。

こないだ、といっても3月のことなんですけど、函館に行きまして、その時の写真やらなんやらを整理していたら思い出したことがあるので書きます。

あんまり中身はないです。

なんで日本の函館にある教会にダヴィンチの最後の晩餐があるの?

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写真は、日経新聞から拝借したものです。(教会内は撮影禁止だったので)

ちょうど写真中央、十字架の上に最後の晩餐が描かれています。

最後の晩餐は、いわずと知れたキリスト処刑前夜、裏切り者の存在を告白する場面です。

この教会に描かれている最後の晩餐はレオナルド・ダ・ヴィンチの複製です。

画像では小さくてなかなか見づらいですけれども、同じ構成のものです。

最後の晩餐はキリスト教においてよく書かれているモチーフのうちの一つ、もっとも有名なものがダヴィンチが描いたものです。

ダヴィンチがこの絵を描いたのが1495年~1498年と言われています。

この数字がどこまで正しいのか私にはわかりませんが(情報源、wikiだし)1500年前後のものだということは間違いなさそうです。

公式サイトによると、

”函館ハリストス正教会は、1858年(安政5年)、日本で最初のロシア領事館が箱館に置かれたことに端を発する。1859年(安政6年)、初代ロシア領事、ゴシュケヴィツチは、現在の教会所在地にロシア領事館の敷地を確保。その附属聖堂として1860年(安政7年)、日本で最初の正教会の聖堂「主の復活聖堂」が建てられた。

1907年(明治40年)の函館大火で焼失した初代聖堂に代わって、1916年(大正5年)、現在の聖堂が建てられた。1983年(昭和58年)、聖堂が国の重要文化財に指定される。”

とあり、再建した年は1907年。そのとき聖堂内にある絵画がどうなったかについては記述かありませんが、おそらくその時に絵画も再度作られたものでしょう。

ということは、すくなくとも大正5年にはダヴィンチの最後の晩餐が函館に輸入されていたってことですよね。

1858年当時のものを再現したとすると、それよりもさらに50年ほど前には日本にダヴィンチの複製画がきていたということになる。

有名な絵画というのは複製されたり、同様の構成をとったりして、伝播していきますが、1500年に描かれた最後の晩餐が函館まで来ているということです。

日本は17世紀初頭から鎖国政策を行っており、西洋絵画はほとんど流通していないはずです。(流通していたとしたら江戸期の絵画、浮世絵等はもっと違ったものになってるはず)

といってもハリストス教会はロシア領事館とのつながりが深いのでロシアから伝播してきた可能性は捨てきれません。

ただ、大正期、どこまで西洋化、西洋絵画が伝わってきたのでしょうね・・・・。

このあたりの歴史に詳しい方がいたらこの疑問も一瞬で氷解するのだと思いますが。

ぜんぜんまとまってないけど、だって知識ないんだもん。

 

でもこういうの考えるの楽しくない?

 

函館でおすすめのうにのお店を紹介しておこう。

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www.uni-murakami.com

めちゃくちゃ有名で、めちゃくちゃ並ぶけど、本当に本当にうにはおいしい。

函館朝市のなかにあるのでおひるごはんに食べるのがいい感じ。

 

以上でした。

 

「あそびあい」  感想編

 

「あそびあい」がおもしろい!

 ネタバレと言うほどのネタバレはないはずです。

ざっくりとしたあらすじ

この話の主人公は男子高校生の山下で同級生の小谷に恋をしている。
でもこの小谷という女子高生、ちょっと「フツウ」じゃない。
なにが普通じゃないかというと、まず小谷が誰とでもやりまくる。
冒頭1ページ目から「山下(主人公)のはうしろからがいい」というビッチ発言。
この導入がまた小谷の性格を表してていいのですが、とにかく「フツウ」じゃない。堂々とほかの人とセックスするし、山下がほかの人としても全くなんとも思っていない。
それどころかほかの人のところで「新しいテクを覚えてくれたらあたしもきもちいいし」とのたまう。
山下はそれをぜんぜん受け入れられない。山下にとって「彼女」や「好きな人」は一人だけだし、「セックス」も好きな人とだけするものなんですよね。だからほかの人と簡単にする小谷が許せないし、理解できない。
だから山下はどうにか小谷を振り向かせて、自分だけを見てもらえるように奮闘する。
 はたして山下君の奮闘は身を結ぶのか?

山下にどうしても共感してしまう滑稽なぼくら

  小谷を振り向かせたい山下にすごく共感しながら読んでしまいました。
このマンガのなかで小谷ってめちゃくちゃかわいい存在としては描かれていなくて、クラスの中にいる地味な女の子のひとりなんですよ。
でもめちゃくちゃかわいくて何考えてるかわからなくて現実にいたら絶対女子に人気のないタイプの女子なんですよ。
それは主人公の目線で見てるからかもしれませんけど、小谷はかわいくて魅力的でしょうがないんですよ。
まあ、なんていったらよいか、ホラ、ぼくら男って「ヤラせてくれる女の子」が大好きじゃないですか。だから山下ののめりこみ度合いも分かっちゃうんです。
でもって山下が言うように「身体を手に入れたら全部ほしくなっちゃう」わけですよ。
 
そういう独占欲とか嫉妬とか青臭さとか、大人への対しての叶わなさなんてものを、ぼくは全部抱え込んで生きていたし、山下もそうやって生きてるんですよね。
そういうのも込みで全部わかる。ほんとに、全部わかる。痛いくらい。
ていうかもう胸が痛い。
 
高校生の時に読んだらもっと「山下は俺だ!小谷許せない!」と鼻息を荒くして読んでいたかもしれません。
でももうそこまでは若くないので、小谷の気持ちも少しだけわかるし、もう少し落ち着いたものの見方もできる、と思います。
 
で、山下ってものすごく滑稽なんですよ。
 
恋そのものが滑稽だ、なんて話もありますけど、そういうわけでもなくて、例えば小谷に対して「俺が一番になる!」と宣言するシーン。
対する小谷は特に感慨もなく「(前にも誰かに言われたな―)」と澄ましている。
この落差、たまんないっす。
気持ちさえあればなんとかなる、こっちの努力次第で彼女を振り向かせられる、そんなふうに考えていた時代が、ぼくにもありました。
当時は本当にそれができると思っていましたし、実際にそれに向かって頑張ってたりしました。
だから山下はものすごく自分に近い存在になんですけど、もう通ってきた道だからその痛さが身にしみてわかるんですよね。
痛さというかイタさというか、それが実らないことを知っているから滑稽に映ってしまうんですよねどうしても。
絶対にフラれるのがわかってるのに、見られずにはいられない。
 
これを読んでる人って、「小谷が山下のことだいすきになってハッピーエンドを迎える」っていう終わりを望んでないような気がするんですよ。
「君が届け」みたいにハートフルなのは求めてないんですよ。
ぐああああぁぁぁこれはきつい!これはきついぞぉぉぉぉっていうのを求めてる人ばっかりだと思うんですよ。
フラれるのを楽しむと言いますか、片思いを楽しむと言いますか。
片思いが一番楽しいだなんて訳知り顔で言い出す人もいますけどね。
山下君はずっと片思いなんです。 たぶん。
滑稽だけど、一途な(一途だから滑稽なんだろうけど)山下君に自分を重ねてしまうんですよ。
世の中の男性は!そして自分も! 

変わってほしいと思うのは悪いこと? 

「本当に今のあたしがイヤなんだね」 
物語の中で、自分だけを見てほしいと望む山下に小谷が言うセリフ。
このセリフ、めっちゃドキッとしました。小谷に自分だけをみてほしいと望むことは、確かに今の小谷の否定になってしまうんですよね。
小谷が生きてきたのは、好きな時に好きな人とセックスをする生き方なんです。
小谷はそれを「もらえるものは全部もらってきた」というような例えをしてるんですけど。
好きな人には自分の好みの生き方をしてほしいと思うのは、自然なことかもしれません。
恋人に対して、もっとこうしてほしいとか、これはしないでほしいとか、望むことはけっこう普通のことですよね。
でもそれが自分のすきなひとのとっても重要なことだったら?
でも自分がどうしても譲れないことだったら?
自分が好きになった人は、自分が好きなところだけを見ようとしていたからではないのか? 
 と、考えてしまいます。
山下には山下が思う幸せがあって、その幸せのなかで小谷と幸せになりたい。
でもその幸せは小谷には馴染まないかもしれませんし、そもそも小谷が変わることによっ彼女を彼女たらしめている何かを失ってしまうかもしれません。
結局、自分の幸せの尺度でしか生きていけないんですよね、それこそ人生観でも変わる体験でもなければ、その尺度を変えることは難しい。
幸せのものさしが違うふたりが出会って、がんばって縦にしたり横にしたりしてみるけど、どうにもはまらない物語、なのかもしれません。
 
 ぜんぜん魅力をアピールできていない気がしますが、全3巻ですぐにもやもやできるのでぜひ読んでみてください!

 あ、あと、講談社のサイトで試し読みもできます。

まだまだ何かが言える気がするので、たぶん蛇足を書くと思います。

morning.moae.jp

あそびあい(1) (モーニング KC)

あそびあい(1) (モーニング KC)

 

 

追記:蛇足を書きました。

 

morojun.hatenablog.com

 

文系だけど社会人1年目で応用情報技術者に受かったので勉強法を書いてく。

お疲れ様です。モロヅミです。

ばりばりの文系の自分がどうやって1年目で応用情報に受かったか、書いていきたいと思います。

 前提として

ちょっとだけ、自分の話をします。僕はいま社会人3年目で、とあるIT企業で働いています。僕が応用情報に受かったのは、2年前の秋、2014年のことです。

なんにも知らないまま会社に入り、会社で資格を取りなさいよ、といわれ、「とったら資格手当出るよ」という甘い響きに誘われて資格を目指すこととなりました。

勉強や運動でもなんでも、モチベーションが大事というのはよく聞く話ですが、実際その通りだと思います。

勉強がすきですきでたまらない、という人はなかなかいませんからね。

その点、自分にとってのニンジンは分かりやすいものでした。

それこそ目の色を変えて(もちろん金色に)勉強に励みました。

この記事は、そんなニンジンを手にしたい皆さんの助けになりたい、といった目的で書かれました。

 

どうしたら「受かる」のか

試験というのもはどういった人が「受かる」んでしょうか。

理系の人?現場でばりばり働いている人?はたまた学生でしょうか?

 

答えは簡単で、「試験で一定以上の点数を取った人」です。

当たり前ですが、つきつめるとそういうことです。

試験の性格上、一定以上の点数をとれる人の中に「実務経験者」や「理系出身者」が増えてしまうのは仕方ないですが、点さえとることができれば誰でも受かることができます。

受けて受かるかどうかは、過去問を解けば分かります。

情報処理の過去問はかなりよく作られていて、毎年の合格率はほぼ一定です。(平成27年の合格率は21%)

解いたことのない最新一回分の過去問を解いてみればだいたいわかります。もちろんばらつきはありますし、得手不得手の分野もありますから一概にはいえませんが、

「未知の過去問に対して時間内に回答を終え、80%の問題を正答できる」人が、「受かる」人間であると言えます。

この状態になることがこの試験勉強のゴールです。

勉強の方針として

いいから過去問だ!

午前に関しては、過去問がすべてといっても過言ではないです。

過去10回分、午前問題が80×10=800問あります。

このすべての内容を理解して、記憶することができれば、応用情報は受かります。

というのは、応用情報の試験は過去問がそっくり使われたり、類題として出てくる、というパターンが多いからです。実際に解いた感覚として、選択肢も同じ問題が25%くらいは出てたと思いますし、似たような問題が多数出ます。

もっといえば、800問の選択肢の4択について全部説明できるのが理想です。

800問×4択=3200です。3200のキーワードを覚えればいいのです。とはいっても同じ問題がいっぱい出ますし、計算問題もあるので、本当に覚えるのはその半分くらいでしょうか。1600単語について説明できれば受かります。いや、説明はできなくても問題を読んで回答できればいいのです。

物量が多くて大変ですが、これは理想としての話です。ここまで勉強すれば受かる、というラインを知っておきましょう。

これはどんな試験でも言えると思いますが、全体の物量としてどのくらい覚えればいいのかというのを意識しておくと、先が見えて勉強がしやすくなります。

また、どんな資格試験でもそうですが、努力した人が必ず受かるように設定されています。過去問10回分を完璧に暗記している人が落ちるような試験は、問題が悪すぎます。(とはいっても記述式や、実技が求められる試験ではなかなかそうもいかないようですが)

参考書

さて、これから過去問をやっていくのですが、参考書として以下をおすすめします。

 

 

 

情報処理教科書 応用情報技術者 テキスト&問題集 2016年版

情報処理教科書 応用情報技術者 テキスト&問題集 2016年版

 

 平成28年度【春期】応用情報技術者 パーフェクトラーニング過去問題集 (情報処理技術者試験)

 こちらのパーフェクトラーニングは午前の解説もありますが、午後の解説が素晴らしいのでおすすめです。というか、午後の解説を載せてる参考書が少ないので、これは買っておいたほうがいいです。

こういった参考書は専門書なので、高いです。また買う人はそれなりに勉強を頑張りたい人なので値下げもあんまりありません。

そこで、前年度や前々年度のバージョンを買うと安く抑えられます。

確か自分はAmazonで2年前の版を500円くらいで買いました。

 

 現時点で800円でした。ブックオフ等でも年度が古いものは安くなっているので、あまりお金をかけたくない人はこいういうものを狙ってみてもいいです。

ITの世界が日進月歩といっても、基本的な部分は変わりませんので、内容についてはさほど変わりません。

新しい概念が含まれる問題は2、3問くらいです。

教科書も前年度のものでも構いません。教科書の範囲から出題されますので、こちらもそろえておいたほうがいいです。

アウトプット勉強法

肝心の勉強法ですが、とにかく「問題を解く」ことに重きをおいてください。教科書を読むことから始める人がいますが、個人的にはそれよりも問題を解いたほうが早いです。

自分が初めて過去問を解いた時は、正答率25%でした。4択ですから「確率通りだ」と思ったことを覚えています。

はじめはそれでいいので、とにかく間違えた問題を覚えていくのが重要です。

ここで大切なのがやり直しです。

間違えた問題ごと覚えていくようにしていきます。

  • 間違えた問題文をノートに書く。
  • 正解の語句の解説を書く
  • 正しい説明はどれか、という問題なら選択肢を丸写しする。
  • 知らない単語が出てきたら教科書で確認する。

という作業を繰り返しやりました。

過去問題集が問題演習で、教科書は専門用語を引くための辞書のような形で使っていました。

はっきり言ってこのやり直しはとっても時間がかかります。

初めのうちは一回の過去問に対して2時間から3時間くらい平気でかかります。この作業がちょっとつらいのですが、だんだん覚えることが減ってくるので、効率が良くなってきます。

やり直しに時間がかかるので、一回分を40問ずつに分けてやったりもしてました。

解く→やり直し(暗記)→解く→やり直し(暗記)という流れです。

 だいたい3回目か4回目くらいから問題の言っていることが分かるようになりますのでそうなってきたら少しずつやり直しの時間が減ってきます。

何回分かを解いてやり直しをやって慣れてきたと感じたら、過去に解いたことのある回をもう一度やってみましょう。

一度解いた過去問をもう一度解くと、きっちりやり直しをした後なので問題の解き方が分かってきます。2度目に間違えてしまったところはノートを読み返してもいいですし、もう一度問題ごとノートに書き写してもいいです。

あとはひたすらやり直しをするだけです。

過去10回分くらいをひたすらやっていけばだんだんとできるようになっていきます。

最近の問題からやっていくのが順当ですが、一番新しい2回くらいは後に取っておくと、直前模試のように使えて自分の実力を測ることができます。

計算問題について

計算が苦手な人はここでかなり苦しめられるかもしれません。正直自分はそこまででもなかったから申し訳ないがあんまり力になれない・・・。

とはいえ、それじゃあんまりなので少しだけ。

ほかの午前問題はキーワードを暗記するものだと言いましたが、計算問題はちょっと違います。ベン図だのビットだの素因数分解だのSQLが出てきます。

これらに関しては教科書を先に読んだり、解説を見ながら何回も解いたりして慣れていくほかありません。計算問題はつまづきやすいので、正答率にはこだわらずに5割くらいを目指してほかで挽回するという心持ちでもいいかもしれません。

計算問題が5問しかできなくても他で9割近い正答率をたたき出せば合格できますからね・・・。

 また過去問を解くときは計算問題は後回しにしてやり直しをしたり、割合を考えて勉強するとテンションを下げずに勉強ができます。

でも、応用情報を受けるという人はこれからプログラミングの世界に入って行くのですから、計算問題の概念は勉強しておいて損はないです。

それから、計算問題が苦手でも問題を解くのはやめないでください。なぜなら、本当に過去問と同じ問題、同じ選択肢が出るからです。「あっこれ見たことある・・・解き方分からないけど答えは”ウ”だ・・・!」なんてことがざらにあります。

午後問題

ここまでは午前の選択問題の話でした。ここからは午後の話です。

f:id:morojun:20160424161647p:plain

http://www.tac-school.co.jp/kouza_joho/joho_apsyutudaikousei.html

IPA(情報処理を運営してる団体)からの転載です。27年秋から選択問題の選び方が変わったようですね。

午後問題は記述式で、数も範囲もけっこう広いので勉強するのが難しいです。正直自分も午後はあまり手が回りませんでした。

上の表を見てもらえば分かりますが、セキュリティの問題が必須で、後は10題から4題を選択できます。

午後の場合、過去問をいくら解いても同じ問題が出ることはありませんから、午前ほどは過去問にこだわる必要はありません。

しかしある程度は問題に慣れておかないと本番の試験で困ってしまいますから、過去4回分くらいはやっておくといいと思います。当然ですが選択性なので、

午後の問題は事前に決めておくか?

という問題があります。これは人によりけりです。例えば、理系出身でプログラミングや実務の経験がある人はネットワークやアルゴリズムを解くと決めて受ける人もいますし、まんべんなくできるという人は問題を見てから簡単そうなものを決めるということもできます。

僕は全部をさらっと読んでからいけそうなものを解くという方針でやっていました。ただなんとなくネットワークと組み込みシステムは苦手だからやめておこうかなーと漠然と思っていました。

決め打ちしてもいいのですがちょっとリスクがあるのでそのあたりは個々の裁量ですね。文字を読むのが遅い人や決めるのが苦手な人は自分の得意な問題を決めておいて迷わず解きましょう。

時間が余れば、複数解答してそこから選択するということもできます。

ストラテジ系、マネジメント系は経営の話なのでプログラミングの知識もいりませんし、読めば解けるという問題が多数あるのでここから選ぶのがおすすめです。

午前問題のお供

午前問題をどこでも解くことのできる心強いお供がいます。

こちらで公開されている過去問道場です。

www.ap-siken.comk

こちらはweb上で応用情報の過去問を解くことができます。解説もしっかりまとまってますし、正答率が表示されるのもナイスです。

電車通勤の方は通勤中にひたすらこれをやっておくとかなり効率よく学ぶことができます。

やる気がないときは、正答率60%切ったらやめる、10問だけやってやめる等もできますし、分野別の出題もできます。

移動中は紙とペンがないので計算問題は分野から外してました。

ちょっとネックなのはやり直しに時間をあまり割けないことですが、それはそれと割り切ってやってました。

おわりに

応用情報は勉強すれば必ず受かります。そして、勉強しただけの価値はあると思います。特に自分のような文系出身の人間からすると、理系の人の考え方にできるだけ近くなっていかなければいけないので、その土台として役に立ってくれました。

上に書いた勉強法は自分が実際にやったものです。こうやって勉強するのがたぶん効率がいいと思ったのでこうやってやりました。

この勉強法、初めは特に時間がかかりますが、とにかく解いていくことで教科書を読んでいくよりも早く知識を詰め込むことができます。それがこの勉強法のいいところです。

もちろん自分と同じようにやらなければ受からないというわけではありません。1つの例です。

ただ、どうやって初めればいいのか分からないという人のために、また1年目で資格を取りたいという人に向けて書いていきました。

 

誰かの助けになれば幸いです。

みなさんの合格を祈っています。

なにか質問がありましたらお気軽にどうぞ。