函館ハリストス正教会の謎
どうも、モロヅミです。
こないだ、といっても3月のことなんですけど、函館に行きまして、その時の写真やらなんやらを整理していたら思い出したことがあるので書きます。
あんまり中身はないです。
なんで日本の函館にある教会にダヴィンチの最後の晩餐があるの?
写真は、日経新聞から拝借したものです。(教会内は撮影禁止だったので)
ちょうど写真中央、十字架の上に最後の晩餐が描かれています。
最後の晩餐は、いわずと知れたキリスト処刑前夜、裏切り者の存在を告白する場面です。
この教会に描かれている最後の晩餐はレオナルド・ダ・ヴィンチの複製です。
画像では小さくてなかなか見づらいですけれども、同じ構成のものです。
最後の晩餐はキリスト教においてよく書かれているモチーフのうちの一つ、もっとも有名なものがダヴィンチが描いたものです。
ダヴィンチがこの絵を描いたのが1495年~1498年と言われています。
この数字がどこまで正しいのか私にはわかりませんが(情報源、wikiだし)1500年前後のものだということは間違いなさそうです。
公式サイトによると、
”函館ハリストス正教会は、1858年(安政5年)、日本で最初のロシア領事館が箱館に置かれたことに端を発する。1859年(安政6年)、初代ロシア領事、ゴシュケヴィツチは、現在の教会所在地にロシア領事館の敷地を確保。その附属聖堂として1860年(安政7年)、日本で最初の正教会の聖堂「主の復活聖堂」が建てられた。
1907年(明治40年)の函館大火で焼失した初代聖堂に代わって、1916年(大正5年)、現在の聖堂が建てられた。1983年(昭和58年)、聖堂が国の重要文化財に指定される。”
とあり、再建した年は1907年。そのとき聖堂内にある絵画がどうなったかについては記述かありませんが、おそらくその時に絵画も再度作られたものでしょう。
ということは、すくなくとも大正5年にはダヴィンチの最後の晩餐が函館に輸入されていたってことですよね。
1858年当時のものを再現したとすると、それよりもさらに50年ほど前には日本にダヴィンチの複製画がきていたということになる。
有名な絵画というのは複製されたり、同様の構成をとったりして、伝播していきますが、1500年に描かれた最後の晩餐が函館まで来ているということです。
日本は17世紀初頭から鎖国政策を行っており、西洋絵画はほとんど流通していないはずです。(流通していたとしたら江戸期の絵画、浮世絵等はもっと違ったものになってるはず)
といってもハリストス教会はロシア領事館とのつながりが深いのでロシアから伝播してきた可能性は捨てきれません。
ただ、大正期、どこまで西洋化、西洋絵画が伝わってきたのでしょうね・・・・。
このあたりの歴史に詳しい方がいたらこの疑問も一瞬で氷解するのだと思いますが。
ぜんぜんまとまってないけど、だって知識ないんだもん。
でもこういうの考えるの楽しくない?
函館でおすすめのうにのお店を紹介しておこう。
めちゃくちゃ有名で、めちゃくちゃ並ぶけど、本当に本当にうにはおいしい。
函館朝市のなかにあるのでおひるごはんに食べるのがいい感じ。
以上でした。