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頭の中ってごちゃごちゃしてるよね。

ワンピースがつまらなくなった理由を考えよう

はじめに

今日は、ワンピースがつまらくなったといわれる理由を考えていきたいと思います。

いまや国民的に有名になったワンピースですが、最近、アンチといわれるワンピース否定派が増えてきているような気がします。

「最近のワンピースはつまらない」「昔はよかった」という声を聞くことが多くなったなーと思っています。

 

僕は、連載開始からずっとワンピースを読んでいますし、まあファンといってもいいとは思います。

累計何億冊も売れていて、ここまで国民に浸透している漫画で、その評価は揺るがないものと言えそうです。

でも、確かに、「最近のワンピースはつまらない」と言われるのもわからなくないです。

なんでなんだろうな、と考えてきた結果、こうじゃないかな、と思える結論がぼやぼやと浮かんできたので、形にしていきたいと思います。

たぶん、つまらなくなってない

結論から言うと、ワンピースはつまらなくなってないと思います。

なのに、なぜ私たちは「なんか最近ちょっとつまらなくなったよね・・・」と思ってしまう。

それは、ワンピースの魅せ方が変わってきているからだと考えます。

いままでのワンピースの面白さは、

・バトルシーンの面白さ

・物語としての面白さ

の二軸で構成されていたと考えています。

そして、最近のワンピースは「物語としての面白さ」に重点をおいていると思います。

なぜかというと、バトルの面白さを表現するには、ワンピースはインフレしすぎてしまったからです。

バトルのおもしろさ

バトルのおもしろさというのは、バトルの中での工夫や、解決策の選び方にあると館得ています。

例えばバギーで、バラバラの実の能力に苦戦したルフィたちは、「一度バラバラになった体をもとの状態に戻れなくする」ことで、勝利を収めます。

弱点を見破り、最適解を見つけ出すところにバトルの魅力があると考えています。

相手の能力や攻撃に対していかに工夫して立ち向かうか、というのが魅力になります。

 

そして、重要なのがピンチです。

時として(というかいつも)主人公はピンチに陥ります。

ピンチになったとき、多くの主人公は自分の新たな力に目覚めたり、根性や気力を振り絞ることで、その場の敵を倒し、問題を解決します。

ワンピースであれば、クリーク戦やアーロン戦、ルッチ戦などなどで死線を超えながら体に無理をさせながら敵を倒していきます。

ピンチを、より大きな力で解決してしまうと、次の敵はもっともっと強く、大きな敵になってしまいます。

読者は「このキャラクターの最大値はこのあたりにある」ことを知っているので、以前出会った敵よりも強いキャラクターでなければ、ピンチにはなれないのです。

すると、

ピンチになる

→キャラクターの最大値が上がる

→それを上回るピンチが出現する

→またキャラクターの最大値があがる

・・・というループが発生します。

このループは読者からみると、ピンチを乗り越えていく主人公をより魅力的に見せ、バトルを盛り上げてくれます。

しかしながら、これには大きな問題があります。

そう、インフレです。

強さの表現には限界があります。初めは瓦1枚を破壊するくらいの威力だったものが、瓦100枚、建物や地面をも割るような威力になってしまうと、こちらの理解が追い付かなくなって、それを生身で受ける主人公に共感できなくなってしまいます。

ワンピースもそうです。

ルフィにしろゾロにしろ、彼らは強くなりすぎてしまったのです。

敵をワンパンで倒してしまうような強さというのは、バトルを大味にしてしまいます(そこから始まる漫画も最近話題になりましたが・・・)

当たるか、当たらないか、といった、大技の応酬になってしまうからです。

インフレを避けるために

このインフレを回避するために、ワンピースは物語を主軸にした構成になっていったと考えています。

正確に言えば、インフレは回避できていません。インフレはインフレとしてなんとかごまかしながら、物語で魅せるようにしていこうとしている、ということです。

この傾向が強くなってきたのは、ドラム王国編、しっかりと舵をきったと感じたのがアラバスタ編です。

バトル展開で魅せるのには限界があると感じた尾田栄一郎が、物語展開で魅せるように重心を変えてきたのです。

アラバスタ編はもちろんバトルも面白いですが、国王軍、反乱軍、クロコダイル率いるバロックワークス、そして麦わらの一味。

それぞれの思惑が交錯し、複雑に絡み合っています。

アラバスタ編単独で映画化もされていますし、相当に練りこまれたストーリーになっていると思います。

また、最近ではそれだけではなく、社会問題すらもその範疇に入っているような印象を受けます。

空島編では先住民と聖地問題、魚人島編ではわかりやすく人種問題などなど、いろいろな問題を扱っています。

このように物語が主軸になってくると、必然的に地の文や島の状況説明、現在の状況説明に割く割合が多くなってしまいます。

キャラクターが動いていないコマが増えてしまうのです。

ここで、以前からのワンピースファンは違和感を覚えてしまうのです。

気持ちのいいバトルが見どころだと思っていた漫画が、気が付かないうちに文字の多い、まだるっこしいものになってしまった。

これが「最近のワンピースはつまらない」の正体です

バトルと物語の両輪だったものが、インフレによって味気のないバトルと、冗長な物語に変わってしまった。

そう感じてしまう、「変化についていけない読者がある一定数いる」ということです。

変化についていけない、というとその方々を貶めているようですが、そんなつもりはありません。

さらに物語もインフレしていく

さて、ここからはどちらかというと余談ですが、個人的にはこの物語重視の展開にも、ちょっと食傷気味です。

理由はふたつあります。

ひとつめは、物語が大きくなればなるほど、ルフィたちが戦う理由に共感できなくなってしまうということです。

ルフィの目的は海賊王になることであって、旅先の国を救うことではないので、本来であれば、ルフィたちの働きによってついでに救われる、という展開のはずなのに、ルフィたちの働きありきになってきてるような気がします。

なんでこいつら戦ってるんだろう、なんで命かけてるんだろう、という理由付けがないと、肝心の物語から置いてかれてしまうのですよね。

命を投げ出すためには相応の理由が必要なはずで、ぼくらみたいなちっぽけな人間からすると、そこまでの執念があるとは思えないし、共感できなくなってしまう。

 

 ふたつめとしては、物語もやっぱりインフレする、ということです。

バトルが存在しない少女漫画でもインフレが存在してしまうことがあるようです。

おもしろいのでぜひ読んでほしいのですが、下記の記事では少女漫画ではどのようにインフレが起こるのかが書かれています。

 

aniram-czech.hatenablog.com

aniram-czech.hatenablog.com 

 

以下はです。

この展開を見て、「登場人物がビッチ・ヤリチン」という批判をしている人にたまに出会うのですが、私は『NANA』をビッチとヤリチンのマンガだとは思っていなくて、「少女マンガにおける人間関係・恋愛関係のインフレが起きた」作品だと考えているんですね。

『失恋ショコラティエ』に見る、私的少女マンガ考 - チェコ好きの日記

 

また、少女マンガにおける「インフレ」のもう1つの傾向として、「過去のトラウマの肥大化」というのもあるなー、と私は考えています。主人公と相手の男の子の思いは通じ合ったはずなのに、2人はうまくいかない。なぜかというと、彼が過去にトラウマを抱えていて、素直な恋愛ができないからです。すぐに克服できてしまうような簡単なトラウマでは話が続かないので、マンガの人気が出れば出るほど、連載が長期化すればするほど、彼の抱えるトラウマは彼の家族や親戚を巻き込み、雪だるま式に大きくなっていく——そんな展開を見せるのが、例えば『僕等がいた』であり、『彼氏彼女の事情』であったりするのではないかと。

『失恋ショコラティエ』に見る、私的少女マンガ考 - チェコ好きの日記

 このように、少女漫画におけるインフレ現象を指摘しています。

うーん、最近のワンピースでも同じようなことが起こっていませんか?

ルフィにもうひとりの兄貴がいるだの、実はこいつは過去にこんなことが・・・だったり、やけに黒いシーン(回想シーン)が多かったりして・・・。

こうやってインフレを起こしているような気がするんですよね。

毎回毎回、新しい島に行くことで設定がリセットされてしまうので、それを超える悲劇や驚き、感動を生み出すために、テコ入れをしている印象です。

ここでもインフレのループに入ってしまっているんじゃないか、というわけです。

 

最後にいっておきますが、ぼくはワンピースすきですし、これからも応援しています。

ただ、飛ぶ鳥を落とす勢い、といったものはなくなってしまったのかな、とは思っています。