pingが返ってくるだけでいい
どうも、モロヅミです。
なんにもうまくいかなくて、どうしようもなくて、誰でもいいから相手してほしくて、誰かに電話を掛けたことはありますか?
わたしはあります。
繋がった瞬間のほっとする感じがたまらなくいとおしいからまたやめられなかったりしませんか。メンヘラっぽいですかそうですか。
まあそんな「誰かとつながりたい日」って誰しも一度は経験すると思うんです。
ネットが発達した現代の人間にとって、結構切実な欲望かもしれない。
でも「誰かと繋がりたい日」であって「話を聞いてほしい日」ってわけでもなかったりして。
もちろん、話をきいて一緒に感情を分け合ってほしい日もある。
でもそうじゃなくてただ誰かと繋がってることを確かめたいという巨大な衝動が(たいていそれは絶望や諦めと仲良しだ)襲ってくることもある。
そうして電話のマークに手を伸ばしてしまう。
数コールのうちに相手と繋がる。
「もしもし」
いままで自分を覆っていた喪失感や無能感が取り払われる。
何かを取り戻したような気すらやってくる。
特に話したかったことがあるわけでもないから、なかなかうまく話せない。
というか、つながる目的の電話だから、話すことなんてない。
まるで「ping」みたいだな、と今日唐突に思った。
そうか、pingだけでよかったのか、と。
pingというのは、ネットワーク機器が繋がっているかどうかを調べるためのコマンドである。
ITに携わっている人ならば一度は打ったことがあるはずだ。
pingは宛先の相手まで到達すると相手からの返答を受信する。
その返信には中身などなく、ただ、返信が返ってきたことだけがわかる。
自分もそうだ。
別に話を聞いてほしいわけでも、相手から何かを言ってほしいわけでもない。
ただ繋がっている実感がほしいだけだ。
人間もpingコマンドが打てればいいのに。
返ってくるのは空っぽのパケットで構わないのだから。
とすると、pingの送り先は多いほうがいい。
相手が忙しかったらpingは返ってこないわけだし、それこそ知らないうちに疎遠になっていたりするわけだから。
自分を構成するネットワークは広くていろいろな方向に延びているほうが都合がいい。
脳みそをつないでいくシナプスがごとく、様々に手を伸ばしておけば、pingの成功率はどんどん上がっていくだろうから。
pingコマンドが人間にあったら、それはそれで苦労するんだろうな。
pingを送らずに済む方法を考えたほうがいいんだろう。
それでも送ってしまうのが自分だと思う。